飛騨高山の今後の観光戦略を考えてみた
これからの観光・旅は”自分の人生を豊がにするため”に行くことだとしたら、それを迎え入れる地は何を提供できるでしょう?と飛騨高山に置き換えて考えてみました。
この先どんな宿にして生き延びるのか!?
アフターコロナで観光はどうなるのか!?
宿のことを考えていたら、宿だけで完結することに意味はなく、もう少し根本から「旅」/「観光」ってものを見つめ直さねばという想いに至りました、改めて。
前回のカモにされる地方編に続き、じゃー地方はどうしたら?って部分を考えてみました。
束になって強くなる。
苦手な部分は人頼り。
付き合うんじゃなくて結婚。
こんな感じでしょうか?
遣る瀬無い話を聞いて、世間が言う地方創生とのギャップ感がすごい・・。
地方が巷で言う創生するのってすんごい難しいなぁ・・と打ちひしがれる一方で、少なくても生き残るために必要なことを考えてみました。
どこでもよくない?って質問に対する回答は毎回異なるのか?
吉野家、松屋、すき家、なか卯
皆それぞれ選ばれる理由があるし、各社も生き残るために必死でその理由を考えているのです。
どこでも良い。
そんな人に選ばれるためには?
今欲しいものは「人」、「お金」、「時間」です。
人がその地を気に入ってもらえて、気持ちよく働いてもらうには、雇う側、働く側双方に大変な努力が発生する。
そして地方にせっかく来てくれる人をただの穴埋め要員として使い捨てるのは勿体がない。
本ブログ1番人気の投稿にあやかり、別の角度から飛騨高山が観光地として選ばれてる理由を考えてみました。
こちらも実はたまたまラッキーが積み重り、やがて高山の底力となっているのではないかと思うのです。
6,000万人, 15兆円なんていう途方もない数字がインバウンドツーリズムでは中長期の目標として掲げられています。
達成のキーになるのが富裕層。
でも、政府の目標を鵜呑みにして、地方も富裕層誘致に走って良いものでしょうか??