アフターコロナの観光について考える

まちづくり

生きてます。


コロナ収束後の宿のあり方を考えていると、自然とコロナ収束後の人が旅に出る理由・観光都市のあり方についても考えることになり。幸い多くの考えを聞く機会にも恵まれたので、ちょっと考えを整理してみる。

突然新しい何かが生まれるというより、予定より早く来ちゃった感

コロナによって何か変わるか。変わるんでしょうが劇的に180度価値観が変わりました!新しい社会システムができあがりました!とはならない気がしています。

コロナがなくてもX年後に起こっていたであろう変化がコロナのお陰(?)で急に対応を迫られる・変わらざる得なくなった感。

判子不要論への本格的な動き出しだとか、多様な働き方に配慮した事業運営だったりとか。
高山でも徐々に起きてはいますが、雇用の受け皿として農業が存在感を発揮し出してるのは、近い将来AIによって代替される職からの再配置問題に対する予行練習にも思えたり。

観光でいうと、それでも人はなぜ旅をするのか?って問いに対して改めて向き合う良い機会になったなーなんて誰もいなくなった宿の布団・枕を天日干ししながら考えています。(必死に強がって)

これからの旅産業へ僕らは何を提案できるのか。

「非日常」から「日常の延長」へ

家族との距離が近くなったり、いざ頼りたくなる知人友人との関係に気づかされたり
否応なしにこれからどう生きていこう・・と思い悩む時間が増えた結果、人はどうなるのか。
 
社会の目・慣習よりも、自分自身の意思にもっと正直になるのではないかと。
自分の足もと・手の届く範囲、身近な人・ものへの想いはより強くなるのではないかと。

となった場合

日々口にする食物はどこの誰が作っていて、もう少し踏み込むと、どんな場所でどのように作られたものなのかに関心が向いたり。
身の回りに置くものはどこの誰が作って、作り手の哲学(?)に共感できるか?自身を投影したものか?が今まで以上に選ぶ判断基準になったり。

アフターコロナワールドでは、心を無にして判子を押し続けた後に5時退社、コンビニ弁当食って寝るって人は減る気がするんです、知らんけど。
(見えない敵・不透明な未来に対してより保守的になった結果、何も変わらなかったってシナリオもあり得ますが・・)

そんな世界で人は何をモチベーションに旅をするのか。

これまで旅に求められる要素を表現する時に「非日常感」がキーになっていたけれど、僕は旅を日常の反対ではなく、「日常の延長線」においてみたいなと。

自分の日常をより豊にするために旅に出る

都会から田舎へ
スマホ依存・ネット漬けからのデジタルデトックス
無駄に豊かな日本国から生命力溢れる新興国へ

な旅ではなく

行き先を選ぶ時、「自分の人生を豊にするか」を基準に考えるので、そこで得られるインプット(体験)と自分の人生を並べて考える、ってことが増えるんじゃないかなーと。

ってことは彼・彼女の人生を豊かにできるもの・ことが観光資源になる。

とするとですよ、どこでも誰でも、どこかの誰かにとって魅力的な旅の行き先になり得ると思うんです。

アフターコロナワールド下では、これまで以上に多様な生き方が肯定される社会が形成されるとする。では、多様な生き方に対して打ち返せるだけの資源を準備しないといけないっ!けれど、そんなの無理な話なので

これからの旅では万人受けを狙ったコンテンツ(資源?)は無意味となり、その資源を選ぶかどうかは旅人の判断に委ねられる。自分/地域はただただ持ち合わせてるものをブラッシュアップして、求めてる人に真摯に発信していくしかない、と思うのです。

多分ですけど、それって古い街並みの整備じゃない。それが彼・彼女の日常をより豊かにすることはなく、テーマパークを充実させることは非日常感をより高めることになるから。



ここまで言っておいてちゃぶ台をひっくり返すと、とはいえテーマパークもある程度は必要だとも思うんです。結局はそれがマスだし、お金はそこに付いてくるから。
人間そんなに変われないし、気付いたらまた観光地目掛けて渋滞巻き起こしてるってのも現実として予想できるなーと。

大事なのはそこでいう「観光」って消費でしかなく、息の長い「文化」には繋がらないってところ。んで消費の渦の中では、地方は都市から搾取される構図から抜け出すことは難しいということも。

それを分かっててテーマパーク路線突き進むのであれば、徹底的に作り込むことは消費社会への提案としてはありなのかなー。いかに搾取されない仕組みをそんな中でも構築することは絶対に必要だと思う。


アフターコロナを迎える頃には多数の中小が涯て大は残る。
テーマパークは蜂蜜屋さんと飛騨高山限定味のポテトチップス屋で溢れ、閉園時間はより前倒しに。やがて廃墟になるかもしれないって考えると、これを機に他の生き残り戦術を考えてみても良いのかなと思うのです。

今だからこそ見直してみたい観光とまちづくりの関係性

「観光」で栄えるってのが目的にはならないということ。何かに取り組み続けた結果、人を呼ぶ、何か目的を達成するための1手段として使う程度のものであることに今一度立ち戻ってみたいです。

点(人)単位であればそんなに難しくないと思う。
理想のライフスタイルを実現している人がデスティネーションになるだけだから。

でも点で良いのか?って疑問はわく。

その点がその地を選んでいるには理由がある筈だし、その盛り上がりは土地とは無関係ではいられないと思うから。
どうせやるなら面で潤う観光を目指したいし、地域の資源を正しく表現して、特定の人で良いから魅了できる息の長い地域(資源)を育ててみたいなーという思いがコロナのおかげより明確になりました。

さてさて

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